経営者の生き方から自分を活かす働き方発見・学びサイト「CEO-KYOTO」


 ところが、携帯電話販売会社の仕事がひと段落して本格的に営業に回ってみると、関西の会社の多くは興味はあっても発注にまでは至らないとわかってくる。「住み慣れた街や人脈を失うのが惜しくて現状に甘えていた…」と痛感した。そして3年目に入り、携帯ショッピングサイトの成功が注目されて受注が増え始め、ついに東京に移住して三日おきに両拠点間を移動しながら関西での業務を確保した。
 ただ、受注の中には下請け業務もあり、元請け会社の調整不足から「いつまで続くんだ…」と思わざるを得ない連日の泊り込み作業を強いられ、利益も圧迫して行く。片岡さんと共に顧客交渉を重ねて下請け業務から撤退する一方で、「多くの仲間から将来を賭けてもらったんだ」とほとんど知人もいない東京でひたすら営業する1年間。すると徐々に真剣な姿勢が伝わって、有力コンテンツ企業などから直接の仕事が増えて行った。業務の増加に応じてエンジニアを採用して行くと4年目には40人もの組織ができていた。「みんなの力でここまで成長したんだ…」と移転して広くなったオフィスを眺めて感慨に浸った。
 しかし少し余裕ができて初めて、スタッフたちが休日手当もないことなどを疑問視する声が気にかかってくる。「給与規定ってあるんですか?」「査定の基準がわからない」…。同時に、それまで口頭だけで意図が通じていた引継事項が、書類に落とさなければ不要なミスを生んだ。「組織というものを学ばなければ…」「もうベンチャーだと言って甘えてはいけない」と新しい緊張が走った。
 「これが自ら選んだ経営者という仕事。一刻も早く環境を整えよう」と人事評価制度や給与体系などの整備に着手する。ただ、社長の片岡さんは事業を企画したり、前に進めることへの才能が特に際立っている。役員会のたびに何度も意見を戦わせながら、「俺が、経営実務や組織作りをやるんだ」と腹を括った。そして2005年4月、片岡さんが会長になると同時に社長に就任した。


京都本社にて。社員との意思疎通を図る。
京都本社にて。各自がそれぞれの業務に没頭する中でも、時間が許す限り社員との意思疎通を図る。

 「万一何かあってもまだ独身だし、すべての責任を一人で背負える」と自分に言い聞かせても、銀行から融資を受けたり、保証人の名義を切り替えるときにはサインのたびに緊張した。また、社内外の人からの見る目が一気に変わって同業の経営者と会うというだけで「業務提携ですか」と言われたり、何気ない発言が波紋を呼ぶ。一つひとつの言葉選びにも慎重になり、重責を実感した。
 すべてを自ら決断して行くしかなくて、顧問や先輩経営者に相談して懸命に耳を傾け、何とか一人の時間を捻出し、維新期の小説を読み漁って組織リーダーの考え方を夢中で探った。同時に、社員たちの気持ちを知り、目指して行きたい組織像を伝えるために、一人ひとりを昼食に誘っては語りかける数ヵ月間。
 しかし、唐突に言われて戸惑う社員を見て、帰宅後に自分の想いを何度も文章に落としながら整理して行く。そして社長に就任して半年が経った頃に、行動理念と共に経営理念を掲げた。「技術を社会へ活かすアイデア」「全力をぶつけられる仕事」「エネルギーが沸いてくる環境」「支え合い、信じ合う姿勢・関係」…。
 今年4月に立ち上げた自社単独のメディア事業。中でも携帯メルマガスタンドは会員数150万人超の日本最大級のメルマガサイトになるなど単月黒字化し、少しずつ収益のメドが立ち始めた。一方で、ある人事担当社員が様々な壁にぶつかりながら全力で仕事にぶつかって必要な人材の採用を成功させるなど、スタッフの成長を感じられる瞬間が何よりも嬉しい。いよいよ理念が組織に浸透する仕組み作りに取り掛かる。
 妹の姿から努力の尊さを学び、自分が信じた道に全エネルギーを傾けて行動し続けたからこそ、29歳にして既に様々な経験ができた。そして、人をまとめて行くという苦手意識を持っていた役割に直面しても、自分で決断したからこそ決して後悔せず、信じた仲間と話し合いながら立ち向かってきた。新卒採用も開始して、社員全員で人を育て合うリアルな組織を作って行きたい。そして、より広く世の役に立てるネットコミュニティ運営への挑戦にも想いを馳せる。


(記載内容は2006年9月時点における情報です)