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 そして1989年、開業8年目にしてとうとう大丸京都店への出店が実現する。1.5メートルの小さなスペースでも「全国展開への一歩や」と胸が高鳴った。
 ところが、名だたる洋菓子店に囲まれて売上は低迷した。百貨店進出に合わせて新設した工場のために出た大赤字をカバーしようと大阪と京都に一店舗ずつ出店し、百貨店では「こんにちはマールブランシュです!」とスタッフたちに明るい声での呼び込みを徹底して、地道に顧客獲得に励んだ。
 バブル景気で業績を伸ばす経営者仲間には「小さい商売しとるな」と言われて悔しさを噛み締める。そして、求人を出してもほとんど応募はなく、やっと採用してもボーナスも払えない社員を居酒屋に連れ出しては「10年後にはきっとでっかい会社にしよう」と懸命に夢を語るしかなかった。
 やがて、思いに共感してくれた社員も一緒になってアルバイトたちを励ましてくれる。少しずつ、こだわりの商品と接客で着実にブランド価値を高めて行くと同時に、北山への地下鉄開通を前にしてシティ雑誌には特集が組まれ始め、日に日に増える来店客。とうとう本店には若者の長蛇の列ができた。
 百貨店店舗も実績を認められて出店スペースが徐々に広がり、ついに1992年には壁面に名を掲げた独立ショップに昇格して、事業は一気に黒字化した。開業から11年、35歳で生まれて初めての達成感が込み上げた。


 1994年から続けざまに3店舗を開店して、従業員も30名ほどに増えた。大きな自信を得て、今までは嫌々顔を出していた青年会議所活動にも積極的に参加し、苦言を呈してくれる先輩経営者の存在を素直に有り難いと思えた。やがてその理事長も務めてリーダーシップを学んだ39歳の時、父は会長に退いた。
 「やっと自分の経営ができる。会社を一緒に支えてくれ」と共に歩んできた右腕社員にもハッパをかけた。ところが、自らが出した指示が経営を心配する父の一言で簡単に覆される日々。それでも苛立ちを抑えて繰り返し夢を語っては一歩ずつ実現させ、徐々に従業員の信頼を勝ち取って行く。さらにかつての倒産の危機以降抱えている借入金返済のために、大手焼肉チェーンとFC契約を結び利益拡大を図った。
 ただ「マールブランシュ」は相次ぐ百貨店からの出店依頼に応えて、店長一人に数人のアルバイトで店を切り盛りする状態が続いていた。「儲かるだけではなく、若手がイキイキと働く組織を作ってこそ父を越えられる」とは思っても「未熟な組織の中で育てられもしない若手を採るような無責任なことはできない」と新卒採用を見送った。
 基盤固めのため管理職経験者の採用に乗り出して、新たに迎えた幹部たちと会議で議論を尽くし、週に一度はとことんまで酒を酌み交わして理想を語り続けた。年収が転職前の半分以下になってさえ、「ここは夢が持てる会社です」と言ってくれる事業部長の言葉に自信を深める。社長就任5年目の44歳には、とうとう首都圏への進出も果たし、従業員は200名を越えた。
 しかし、それでもまだ父は経営を任せてくれない。経営者仲間に募る不満をこぼしていたある日、「会社もあって仕事もできるのにお前は贅沢やな」と投げかけられた。



社員旅行での一枚。一緒に飲んでとことん語る。このコミュニケーションスタイルはずっと変わらない。

 「俺は親父への反発心で経営を続けている。これで本当に社員の幸せを考えられているのか?」と心に浮かぶ疑問。数週間の自問自答の末に「親父の力があってこそ、今の自分がある。それを受け入れよう・・・」と肩の力が抜けた。そして、自らが社員のためにできることを懸命に考えると、「十数年をかけて負けを覆したあの達成感を教えてやりたい」と心の底から思った。
 利益が大きくても社員が自由な店づくりをできない焼肉FC店を閉じると同時に、父の言葉を社員育成の一助としようと、その語録を印刷した日めくりを作成して各店舗や取引先に配り、幹部には現場との密な対話を促して行く。
 さらに経営計画発表会で思いつく限りの表彰項目を設けると、それを励みに仕事へ熱心に取り組む社員たち。「もう無理です」と一度は弱音を吐いたある店長は事業部長と共に1年間休みを削って店に寝泊りし、とうとう繁盛店を作り上げた。壇上で感極まって涙をこぼす店長の姿に、「この成功体験が彼の自信になったはずや」と胸が一杯になる。やがて父は黙って経営を見守るようになって行った。
 全国に29の出店を果たし、自社の社員と同じように百貨店側の従業員とも語り合って、共に顧客へのサービスを考える。こまめに店に足を運ぶだけでなく、パート・アルバイトを含めた現場の従業員からの一日50通以上のメールに返事を書き、「負け続けた人生でも本気でやればきっと変われる」と経験を交えて語り続ける。
 父への反発をバネにして事業を黒字化し、初めての達成感を味わった30代。対抗心からではなく本気で人の成長を思いやった時、社員は大きく伸び始めた。「社員を幸せにする人格と経営力こそ社長に必要なもの」と肝に銘じて、今年創業以来の初の新卒採用に乗り出した。


(記載内容は2006年12月時点における情報です)