そのテープで運動能力が上がると評判が広がり、様々なスポーツチームからもお呼びがかかって全国を飛び回った30代。そしてTV番組で紹介されると小売店からも引き合いの電話が相次いだ。京都市郊外に借りた8畳ほどの小屋で、なんとか納期に加工を間に合わせて行く。遊びを我慢して手伝ってくれる3人の子どもたちに、「これを多くの人が待ってるんやで」と笑顔で語りかけた。
ただ、重病患者は大量にテープを使うために費用がかさみ、せっかく喜んでもらえていても値段を告げるたびにつらい気持ちにもなる。しかし、既に購入してくれている患者のことを考えれば価格は簡単には下げられない。「もっと少ない負担で喜んでもらいたい」と、コストダウンができる商品開発を目指してチタンに目をつけた。
再び自宅で一日中実験機を眺めながら、採用した2人の技術者と思いつくままの方法で加工を続けて2ヵ月が経とうとしたとき、チタン含有の「パワーテープ」を開発できた。それを使った高校野球部が甲子園に出場したり、大学陸上部が箱根駅伝で優勝すると注文が殺到した。
自分の予想をはるかに超えて売上が伸び続けた5年間。工場を次々と増設し、東京やアメリカなどに営業所も開設する。そして従業員が100人になる頃には利益が4億円に達し、バス数台を借り切って大旅行にも繰り出した。
同時に、「商品やなくて『効き目』を買ってもらいたい」と全国に直営店を作り始めて自ら販売員に指導し、従業員やその家族の体調が悪いと聞くとその合間を縫って施術して回った。ただ、年度末のたびに巨額の利益が積み上がり、「もっと思い切って機械などに投資をしておけば…」と後悔した。
1999年、会社設立16年目で初めて売上・利益の目標を掲げた。数十店になっていた全国直営店の社員を京都に集め、「経営予想も立てないからつい弱気になって、設備投資や頑張るみんなへの報酬を控えてしまう。今後は各人が目標を立てて突き進もう!」と宣言した。しかし、一年後に全社業績が更に向上していても、個々が立てた目標とはまったく連動していないことに愕然とした。
「組織づくりの勉強や。もっと各自が知恵を絞って頑張る会社にせんと…」と、翌年は各店の詳細なデータを配って具体的な店舗運営を考えさせる。すると、初めて自分の職場のデータを見て「こんな客層にこの商品が売れてたんや!」「リピートが収益を高めるんだ…」と社員たちの目の色が輝いた。それぞれが職場で行動計画を実行すると、少しずつ目標に沿った結果が出始めて手応えを感じた。
ただ、時まさしくサッカーワールドカップ日韓大会の開催年。チタン含有のネックレス「RAKUWAネック」をつけた日本のスター選手のインタビュー姿が日本国中に頻繁に放映されると、100店に達した直営店には販売員の努力がなくても長蛇の列ができた。生産が追いつかず小売店からの苦情の電話が鳴り止まなくて泣きながら応対しているオペレーターたち…。「アカン…。ウチの商品はファッションものやない!『効果』を買ってもらいたいんや」と背筋が寒くなった。
小売店や直営店を走り回って懸命にそう訴えても、「仕方がないです。それくらいのビッグ商品になったんです!」という声を説得できる状態でもなかった。そして最終売上200億円を記録した2003年度を終えた翌年には、ブームで商品購入した顧客はやはりリピーターにはならず、小売店の売上は激減して行った。
一部小売店では在庫処分の安売りが始まった。「創業から守ってきた付加価値が崩れてしまう…」と、商品をすべて買い戻す指示を出して20億円を吐き出した。
「短絡的すぎたか?他にもやり方があったか…?」という思いも湧き上がる。しかし、「ウチの商品は卓越した機能があり、流行ではなく、その効用を喜んでもらわないと次への発展はない。お客さまの絶大な支持を集めれば、どんな苦難にも負けない」と、自分に言い聞かせ、現場の改革に再び着手した。
50歳を超えた体で全国に飛んで、動揺が大きい現場に「大丈夫や!」と元気を見せ、400人を超えた社員たちを20〜30人ずつ集めて技術や商品効用を教えて行く。理解が進まなければ幾度となく明け方近くまで語り、体の不調や悩み事を聞けば親身に相談に乗り続けた。チタンパワーを日常的に利用してもらおうと様々な商品開発を進め、小売店にも社員を派遣して試供テープを来店客に貼って効果を地道に伝える。同時に人事や経理なども思い切って幹部に任せていった。
すると次第に、直営店社員が売上よりも先に「お客さまの状態が良くなって喜ばれました!」報告をしてくれるようになり、「あの新人の行動が変わったんです」と人の成長の報告があがってくることも増えてきた。組織づくりはまだ勉強中、と自らに言い聞かせながらその手応えを確実に実感し、いよいよ組織に躍動感が宿ってきた。
家業から解き放たれ、進むべき道を探してたどり着いたこの商品。思ったことはなんでもすぐに実行し、果敢に、そして母の無念に思いを寄せてどんなことがあっても勤勉に取り組み続けることで人生を切り開いた。その姿に共感して、懸命に、前向きに成長を続ける社員たちと共に、更に大きな夢の実現に思いを馳せる。