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太鼓から生まれる感動が共感を呼び、喜びになる
好きな歴史上の人物を教えてください
出雲阿国

(江戸城にて徳川家康や諸国大名の前で初めて「かぶき踊り」を披露、歌舞伎の創始者とされる女性芸能者。出雲国松江の鍛冶中村三右衛門の娘。出雲大社の巫女となり出雲大社勧進のため諸国を巡回、京都の舞台で男装して茶屋遊びに通う伊達男を演じ大変な人気を集めた。)

この時代の女性が侍の格好をして、舞台で踊ったこと自体が凄いことです。「かぶく(傾く)」という言葉があるじゃないですか、表現するために奇抜な格好をする意味の。出雲阿国は江戸幕府が出来たすぐの頃に傾いた人で、1603年には京都の北野天満宮で歌舞伎の始まりみたいなことを行っています。本人は「これが世の中の始まり」とは意識していなかったでしょうが、やはり独特の感性がありますよね。
アーティストに限らず、ベンチャー企業の社長も傾いていると思うんですよ。だって誰もやらないオンリーワンをやろうとか、ニッチなことをやろうとしているわけですから。傾からなかったら出来ませんよ。
座右の書・感銘を受けた本を教えてください
風の盆恋歌

高橋治 著

「風の盆」って、富山市八尾町で毎年9月1日から3日にかけて行われている「おわら風の盆」祭りのこと。とにかく描写が素晴らしいんです。人に紹介されて読み終えたのが8月下旬、祭りは9月1日〜3日の3日間。居ても立ってもいられず、富山まで走りましたよ。ちなみに数万人だった見物客は、この本が出たことによって20万人前後になったそうです。
お祭りと聞くと、太鼓叩いて、どんちゃか騒ぐイメージですよね。でも「おわら風の盆」は「皆さん、静かにしてください」ってアナウンスがあるんです、今から踊りますからの意味で。踊りが小粋でね、笠で顔を見えないようにして踊る女性が何とも粋なんですよ。まさにライヴ。踊りもライヴ、人間が生きている証しですね。実際の街の風景は小説でイメージした通りでした。やはり小説もひとつのアートですね。
習慣としていることを教えてください
メールチェック、社長ブログ、階段は二段ずつ上がる
帰宅後は必ずメールチェック、そして社長ブログは毎週日曜日の習慣。日曜日はもう、これを書かないと寝られないぐらいです。50歳の手習いでパソコンを始めて、最初は慣れるために書いていたんですが、やろうと決めたら続けないと意味がないと思う性格も手伝って8年続いています。
内容は大したことないかもしれませんが、素材を探すのが大変です。書いて、チェックして、アップするにはどんなに短くても1時間。会社のブログですから余計なことを書いてもね。時々、社員からダメだしもされるし。意識的に「これを書こう」と決めている時は写真も撮れるし、早いですね。
階段を二段飛ばしで上がるのは、忙しくてなかなかスポーツなんて出来ないでしょ。一段が低いと、意外と二段飛ばしの方が歩きやすい。結構、それだけでも全然違うと思いますよ。
生き方・考え方に影響を与えていると思う出会い、言葉を教えてください
人に迷惑かけなければ、信じた道を迷わず行け

父の手紙

僕らの大学時代って学園紛争の時代。騒がしい毎日の中で、ある日親父から「人には迷惑掛けるなよ。おまえがやろうとしていることが信じた道だったら、いつか大きな流れになると思う。頑張りなさい」という手紙を貰ったんです。生き方にすごく迷いが出たり、選択を迫られる時。自分が信じた道を頑張って生きればいいよというメッセージに、背中を強く押されました。「周りを気にしないで、自分の思った道を生きなさい」。仕事が忙しくてほとんど口も利かなかった親父にこんなこと言われたら、心に残りますね。
もう一人は大蔵流狂言の茂山千之丞さん。菌(くさびら)というキノコがいっぱい出てくるおばけの狂言を、一緒にやらせてもらったりした縁です。この間ラジオのインタビューで「元気な理由?スケベなことです」と話されていました。そういうことをスパッと言うんですね。アーティストってボケない。みんな生涯現役で頑張っていますよ。
最後に京都という地で事業を展開してよかったこと、大変だったことを教えてください
日本の中で京都が最大の文化都市
関西では商売が成り立たないと考えて、東京に行ってしまう企業は多いですよね。でも京都には世界トップの企業が山ほどあるじゃないですか。京都の企業って、最初から普通に世界一を目指している人や企業が多いということです。
例えば祇園祭の鉾の飾り一つとってもすごいじゃないですか。鎖国で貿易禁止だった時代でも、京都は勝手に貿易していた。つまりこの狭い京都の中でどうかではなく、既に世界に目が向いてたということです。しかも京都には絶えず日本中からいろんな人が来る、そして争いも起こっていた。その中で祭りがあり、生活の知恵があり、文化が生まれたわけです。
うちは文化の会社だから、京都こそ拠点を置くに相応しい場所。世界中にTAIKO−LABのスタジオが出来る時代がもうそう遠からず来ると思っていますから、「京都本社」であることにより意味があるのです。
    
(記載内容は2008年4月時点における情報です)