大学卒業後、地方銀行に就職する。営業など様々な職種を経験するが、誰かに指示される働き方になじめなず、自ら商売をしようと26歳で退職。まもなく父親から経営の全てを託され、実質的に家業を継ぐと、カキツバタを中心に生産・販売規模を順調に拡大する。「水辺緑化」というそれまで日本では未開拓だった分野に着目し、多様な水生植物の生産や輸入を本格的に開始。1995年に法人化すると、インターネット販売など新たな販売・マーケティングの手法にもチャレンジ。国内唯一の水生植物専門会社として全国に知られるようになる。首相官邸や京都迎賓館の庭園水辺監修など、自然を再現する水辺緑化の総合プロデュースも手がけるようになり、2005年には全国農業コンクールで名誉賞・農林水産大臣賞を受賞。水生植物の新たな可能性と共に、新しい農業経営のあり方を発信し続けている。
経営者を読み解く8つの質問
経営トップになってそれまでと変わったことは何ですか
もし、経営者になっていなかったらどんなお仕事をされていますか
好きな言葉・座右の銘を教えてください
■人物データ
年齢 |
44歳(1963年4月生) |
社長就任 |
2007年3月 |
就任経緯 |
家業後継 |
出身地 |
京都府 |
出身学校 |
龍谷大学 |
専攻 |
経済学 |
趣味 |
海外旅行 |
■会社データ
会社名 |
株式会社 杜若園芸 |
業務内容 |
水生植物の生産・販売、水辺の総合プランニング |
創業 |
1963年4月 |
設立 |
1995年4月 |
従業員数 |
25名 |
売上高 |
2億1000万円
(2006年3月実績) |
会社HP |
http://www.tojaku.co.jp/ |
家業を親父から引き継いだとき、経営は売上・収益ともに順調でね。だから今をどうにかしなきゃいけないという切迫感はなかったし、経営そのものを俯瞰して考えることができたのは幸運だったと思います。当時うちは典型的な家族経営で、繁忙期に若干名のパートさんを雇うといった具合でした。経営者として何をしていくべきだろうと考えた時に、まずは法人化ということを考えて、会社の理念として“社会貢献”をベースにしようと思ったんです。商品である水生植物について考えれば、これが世の中に広まれば広まるほど、緑化を推進できたりだとか、人の自然環境を守る気持ちを促したりだとか、実際に社会の役に立つことができます。そうなるためには、もっともっと会社を大きくしていかなきゃいけない。社会に対して影響力を持つようにならなきゃいけない。そんな影響力の発信源となるのが経営者の役割だと思うんです。従業員に語り、お客様に語り、事業を通じて社会に語る。それを自分自身で、自分の思いでやれるようになったことが、それまでと一番変わったところでしょうね。