高校生の頃から父親が経営する電機店を手伝い始める。大学では二部制で文学を専攻、教育者を目指して学業に励みながらも、次第に家業の経営に携わるようになる。進路に悩むが卒業後は経営者として歩むことを決意。全力で取り組む面白さを感じ始めると、会社も制御機器メーカーとしての評価を高めていった。1979年には国内初の「鶏卵全自動選別包装システム」の開発・製品化に成功、業績を順調に伸ばしていく。1986年に米国メーカーから特許侵害訴訟を起こされ窮地に陥るが、それを教訓に特許等の知的財産権を軸にした「研究開発型企業」として歩んでいく経営方針を確立。あくまで鶏卵産業関連機器にこだわり、「世界一」を目指して社員と自分自身を鼓舞し続ける。
経営者を読み解く8つの質問
経営トップになってそれまでと変わったことは何ですか
もし、経営者になっていなかったらどんなお仕事をされていますか
好きな言葉・座右の銘を教えてください
■人物データ
年齢 |
59歳(1948年1月生) |
社長就任 |
1984年10月 |
就任経緯 |
家業後継 |
出身地 |
京都府 |
出身学校 |
立命館大学 |
専攻 |
文化人類学 |
趣味 |
読書、ゴルフ |
■会社データ
会社名 |
株式会社ナベル |
業務内容 |
鶏卵の自動選別洗浄包装システムの開発・製造・販売・メンテナンス |
創業 |
1964年1月 |
設立 |
1977年3月 |
従業員数 |
111名 |
売上高 |
32億6000万円
(2007年3月実績) |
会社HP |
http://www.nabel.co.jp/ |
「経営トップになった」という変局点をあまり自覚していないからかもしれない。もともと零細企業の段階から父親と二人でやってたからね。ただその頃から意識していたことはあった。それは「嘘をつかないこと」「社員を裏切らないこと」、そして「夢を共有すること」。当時はほとんど毎晩社員と一緒に飲みに行って、とことん語り合いましたよ。だって一人で出来ないことは皆でやりたいし、皆でやらないと出来ない。だとすれば可能な限り自分と同じ価値観を持ってほしいし、ベクトルを揃える必要があると思った。本当は一挙手一投足まで一緒にして欲しいぐらいですよ。だからなるべくたくさんの時間を一緒に過ごそうと。
その頃、京セラ名誉会長の稲盛さんのことを書いた「ある少年の夢」という本を読んで、こんな素晴らしい経営者がいるんやなあ、と感動したことがあるんだけど、その稲森さんも社員とできるだけ時間を共有し、共に語り、共に夢を目指そうとされてた。自分のやってきたことに確信をもてましたよね。