経営者の生き方から自分を活かす働き方発見・学びサイト「CEO-KYOTO」

人生を楽しく生きるために 天命を信じ人事を尽くす
高校生の頃から父親が経営する電機店を手伝い始める。大学では二部制で文学を専攻、教育者を目指して学業に励みながらも、次第に家業の経営に携わるようになる。進路に悩むが卒業後は経営者として歩むことを決意。全力で取り組む面白さを感じ始めると、会社も制御機器メーカーとしての評価を高めていった。1979年には国内初の「鶏卵全自動選別包装システム」の開発・製品化に成功、業績を順調に伸ばしていく。1986年に米国メーカーから特許侵害訴訟を起こされ窮地に陥るが、それを教訓に特許等の知的財産権を軸にした「研究開発型企業」として歩んでいく経営方針を確立。あくまで鶏卵産業関連機器にこだわり、「世界一」を目指して社員と自分自身を鼓舞し続ける。

経営者を読み解く8つの質問

経営トップになってそれまでと変わったことは何ですか
変わったことはあまり無い

「経営トップになった」という変局点をあまり自覚していないからかもしれない。もともと零細企業の段階から父親と二人でやってたからね。ただその頃から意識していたことはあった。それは「嘘をつかないこと」「社員を裏切らないこと」、そして「夢を共有すること」。当時はほとんど毎晩社員と一緒に飲みに行って、とことん語り合いましたよ。だって一人で出来ないことは皆でやりたいし、皆でやらないと出来ない。だとすれば可能な限り自分と同じ価値観を持ってほしいし、ベクトルを揃える必要があると思った。本当は一挙手一投足まで一緒にして欲しいぐらいですよ。だからなるべくたくさんの時間を一緒に過ごそうと。
その頃、京セラ名誉会長の稲盛さんのことを書いた「ある少年の夢」という本を読んで、こんな素晴らしい経営者がいるんやなあ、と感動したことがあるんだけど、その稲森さんも社員とできるだけ時間を共有し、共に語り、共に夢を目指そうとされてた。自分のやってきたことに確信をもてましたよね。

もし、経営者になっていなかったらどんなお仕事をされていますか
教育者
「我々はなぜこの世に生まれてきたんだろう」という問いがずっと心の中にあるんですよ。だから学生の頃は「金なんて儲けてどうするんや」なんて思ってたし、家業を継ぐ気は全くなかった。まあ仕事を手伝ってるうちに尊敬できる先輩や頑張ってる同年代の仲間を見て、自分も頑張らないとな、とそうやって経営者の道に進んだわけです。
ただ、自分は教育者にならなかったんだ、とは全く思っていないんです。ルソーの「教えるとは共に学ぶことである」という言葉があるけれども、壇の上から分からない人に教えるってことじゃなく「教育者=共に学ぶ人」だと考えれば、我々は常に教育者でなければならない。新入社員に対しても、仕事について教えたり叱ったりする一方で、何回かに1回かは「そうや、君の考えてることは正しい」と励ましてやらないかん。そういう意味では、リーダーは教育者でないと務まらないと思うなあ。
好きな言葉・座右の銘を教えてください
天命を信じて人事を尽くす
「人事を尽くして天命を待つ」と、普通は言う。でもそれやったら何だか判決を待つみたいで悲しいでしょ。天命を信じてるからこそ我々は人事を尽くせる。そう考えるほうが夢があっていい。経営でも、行き詰まってお金もなくてどうしようもないなんて時に、「やるだけのことはやった、天命を待とう」と言って結局不渡りやったらどうにもならんよね。「あとは待とう」なんて暇があったら人事を尽くせ!と言いたい。そのほうが皆元気が出ますよ。うちの経営も決して順風満帆だったわけではないし、世界に通用するいろんな技術も決してスムーズに開発できたわけじゃない。人生だって同じです。人生が楽しくないとしたらその原因は自分にあるし、周りは何も悪く無い。人生は楽しいはずであると思って努力を尽くせるかということが、結局人生を決めるんやと思う。だから社員にはいつだって天命を信じて人事を尽くそう、と言ってる。別な言い方をすれば「ネバーギブアップ」ということかもしれないね。