経営者の生き方から自分を活かす働き方発見・学びサイト「CEO-KYOTO」

‘自分の常識’を捨ててこそ信頼が生まれ、思いは伝わる
大学卒業後、大手保険会社に入社し、本部東京にて国内債券の運用に携わる。入社6年目にはMBA取得を命じられて米コーネル大学大学院へ留学するも、日々の激務から発症した関節炎が悪化し、保険会社を辞し帰京。31歳で、父の始めた洋菓子製造業(株)バイカルに入社し、系列会社(株)三美の代表取締役を経て、2001年5月、40歳で(株)バイカルの代表取締役に就任する。『京都の洋菓子』を模索して新ブランド『古勝院NOBUAKI』を立ち上げ、『ここにしかない本物』を追求していく。

経営者を読み解く8つの質問

経営トップになってそれまでと変わったことは何ですか
話し方、口調、表情などに気を使うようになった
バイカル入社後の1〜2年は今思えば大手保険会社での成功体験の鎧を着たまま社員に接していましたね。バブルの形成期、時代の脚光を浴びていた金融の世界で、知識を吸収し、分析し、理論武装して結果を出すことが良しとされる…それが僕の常識でもありました。
でもそのやり方がここでは通用しないんです。何度もぶつかって苦い思いをして、やっと「バックグランドが違えば正しさも違う。自分がこの鎧を脱いで、自然体で、人間らしい部分で接しないと駄目なんや」と思えてきて…。だから、まずは相手に「なんか一生懸命しゃべっているなあ。ちょっと聞いてみようかなあ」と思わせるために、礼儀を尽くして情熱を持って伝えようと決めたんですよ。「信用されて初めて思いは伝わるんや」と、そんな風に思えるまで3年くらいはかかったでしょうか…。それからは話の内容以上に、その伝え方、つまり話すタイミングや口調、表情に気を配るようになっていきましたね。
もし、経営者になっていなかったらどんなお仕事をされていますか
国内債券のポートフォリオマネジャー 人に何かを伝える仕事
おそらく以前の会社にそのまま勤めていたのではないかと思うんですよ。ひたすら個人の能力を高めてどれだけ自分が高いパフォーマンスが上げられるかに力を注ぎながら…。体力的にも精神的にもキツイ仕事でしたけど、あの頃は「もっともっと金融や財務について学んでキャリアを積みたい」と全力でやっていましたね。だけど、体が壊れた。やっぱり、自分の働き方を見直す時期が来ていたのだと思いますね。保険会社の仕事は何か思いがあって就いた仕事ではなかったですし…。
『やりたいこと、できること』を考え始めたとき、友人の結婚式で頼まれてやった司会進行が「とてもわかりやすい」と喜ばれた。自分自身も「ああ、自分はこういうのは得意なのかもしれない」と思えて…。一つ目の質問の答えにも通じるんですけど、表現や口調、表情の工夫で難しい話をわかりやすく伝えるような、そんな仕事をやってみたいなと、一方では思いますね。
好きな言葉・座右の銘を教えてください
疾風に勁草を知る

後漢書王覇伝

『強い風が吹いた時にこそ強い草がわかる』という意味です。中学の頃に知った言葉ですけど、実感したのは6年くらい前。ちょうど社長に就任した頃に京都新聞の経済欄のコラムで見かけたんです。バイカル52年の歴史の中でも最も厳しい時期だったと思います。「苦しい時だからこそ、自分の力、部下の力、取引先の力をひたすら信じてやっていくしかないな」と…そういうことを噛み締めましたね。
会社にも人生にも、順境も逆境もありますよ。僕で言えば、突然の病気で以前の仕事を続けられないとわかったときは本当に辛かった。だからこそ改めて、「良い時も悪いときもある。環境に左右されず、常に長い目で見て勁草でありたい、社員にもそうあって欲しい」と思いますね。