経営者の生き方から自分を活かす働き方発見・学びサイト「CEO-KYOTO」

自分の生き方を見つめて 苦しくとも精一杯生きる
高校卒業後、蒸気流体制御機器メーカーの技術者を経て26歳で独立。1979年、石油系溶剤浄油再生装置を開発して株式会社京都産業を設立し、装置の販売と同時にクリーニング店の経営に乗り出す。その間にもアクアドライ、リプロンといった洗浄技術を開発し、2002年に株式会社ハッピーを設立。衣類に対して100以上のチェック項目を設けてお預かり状態をデータベース化し、ファッションのトータルケアを提案する『ケア・メンテへ』という新発想で、通常のクリーニングの10倍の価格設定でありながら、顧客数・売上を伸ばし続ける。2006年には、衣類を傷めず98%の汚れを落とす水系洗浄『無重力バランス洗浄方法』の開発に成功し、世界を代表する有名ブランドからのオファーも受けている。5年後の上場、FC化を視野に入れ、ファッションという文化の維持・発展に貢献するとともに自然循環型社会の創造と雇用の創出を目指す。

経営者を読み解く8つの質問

経営トップになってそれまでと変わったことは何ですか
商品を作る力が必要になった

『ケア・メンテ』の発想にたどり着くずっと前から、クリーニング溶剤や染み抜きにはこだわってきた。その上で、どうしても落とせなかったシミに対して『色々試みましたが、これ以上落ちません』というタグをつけてお返ししたのも業界初やったし、石油メーカーの依頼で1500回までノーメンテナンスで使用できるドライクリーニング溶剤を開発して、使い回した溶剤の汚れが衣類に移る逆汚染の解消や業務の効率化も図った。「これをやったら人に喜んでもらえて、商品になる」と思うことをとことんやってきた。
経営者に必要なのは、この、自分で発想して自分で創造していくエネルギーやと思う。人の真似して成功しても、その成功は自分の発想の上に成り立っていないから、次に誰かに真似されたらもう終わりや。『なぜそうしようと思ったか』という根本が見つめられていないから、次の商品を生み出せない。物事の根本をジッとみて、自ら創造するエネルギーをどう商品化して世の中に発信していくかということが、経営者として一番大切やろうね。

もし、経営者になっていなかったらどんなお仕事をされていますか
技術者
技術者というと大げさやけど、コツコツ機械でも触っていると思う。そういうのが好きなんやね。小学生の頃には「この振り子時計はなんで動くんや」とバラバラに分解してしまって、親に思いっきりどつかれた覚えもある。疑問に思ったら調べずにはいられない。とにかく自分で黙々と調べて、考えて、納得したい。人に聞くのは好きじゃない。そういう積み重ねで、少しずつ物事の仕組みを知って、問題を解決していくことが何よりも面白いと感じるんやわ。
好きな言葉・座右の銘を教えてください
精一杯生きる
生まれてきたからには精一杯生きるのが当然やと思うんや。これはおかしな神頼みと思われるかもしれんけれど、僕の発想が本当に人の役に立つことに結びつく限りは、神様は僕を生かしておくと思うし、会社は必ず成長するはずや。僕がこの世を去るときは自分の役目が終わるときやから「まだやり残したことがある」という未練は感じないはずやし、そういう悔いを残さないように毎日を懸命に生きていたいと思う。もう一度生まれてこられるなら、同じ人生を歩みたいと思える。
僕は小学校3年生の時から新聞配達をして、中学にあがったら牛乳配達もしていた。子どものころからずっと精一杯生きてきたと思うし、ずっと燃焼し続ける。多分、死ぬまでこんなふうやろうね。