大学卒業後、東京のデザイン関連総合商社の営業職に就く。25歳の時、地元京都でデザイン会社を営む父に新規事業立ち上げのために呼び戻され、4年間で事業を軌道に乗せる。1996年、父の逝去にともない代表取締役に就任。同時に、ホームページ作成、映像と事業領域を広げ大手メーカーを中心に取引先を拡大した。師匠と弟子という職人的な働き方を改め、遊び心と真摯な思いを大切にクリエーティブワークに取り組める社内環境づくりに力を入れる。常に変化球を投げられる会社を目指し、「今、この瞬間一番面白いと感じること」を大切にしている。
経営者を読み解く8つの質問
経営トップになってそれまでと変わったことは何ですか
もし、経営者になっていなかったらどんなお仕事をされていますか
好きな言葉・座右の銘を教えてください
■人物データ
年齢 |
40歳(1967年6月生) |
社長就任 |
1996年7月 |
就任経緯 |
家業後継 |
出身地 |
京都府 |
出身学校 |
同志社大学 |
専攻 |
社会福祉 |
趣味 |
スキー |
■会社データ
会社名 |
株式会社ビジュアル アート センター |
業務内容 |
グラフィックデザイン全般、CG、CGムービー、オーサリング、Webデザイン |
創業 |
1968年4月 |
設立 |
1984年4月 |
従業員数 |
10名 |
売上高 |
1億1000万円
(2006年3月実績) |
関連会社 |
有限会社シーダー |
会社HP |
http://www.vac-inc.co.jp/ |
トップになる前は後先考えず、ただ目の前の仕事だけに集中して朝も晩もなく働いて周りが見えなくなっていた時期もあった。今はね、人から見たら全力に見えるかもしれないけど、自分の中では常に7割か8割。社内をウロウロして社員と遊んだり、忙しい合間を縫って本屋に立ち読みに行ったり。朝から晩までずっと仕事しているような状況はなるべく作らないようにしている。
紙媒体の広告だけ扱っていた親父の後を継いで、ホームページ作成、映像製作と手を広げていく時にもね、まずは映像関連設備を3000万円かけて揃え、ある社員に「丸々1年、遊んでエエから」と言って、いろんなものを作らせた。そうしたらちょうど1年経った頃に、大手メーカーからプロモーションビデオの製作依頼があって、今では売上の2割が映像関連の仕事で占められている。
社員を叱る時も2割は逃げ道作ってあげる。お客さんへのプレゼンもガチガチにせずに2割は遊びを作る。広告って絶対に必要なものじゃないし、はっきり言えば無駄なもの。無駄なもの真面目に作っているからこそ、どこかに遊び心とか余裕がないと、100%でやってしまうと面白いモンにはならない気がする。