経営者の生き方から自分を活かす働き方発見・学びサイト「CEO-KYOTO」

100年後の京都の街をまるごと描きたい
代々続く宮大工を営む父と、西陣織りに親しむ母の間に、長男(3人姉弟の末っ子)として生まれる。10歳で父親を亡くしたことにより、中学卒業後、昼は呉服問屋のデザイン室で働き、夜は高校に通う生活がスタート。高校では凛としたお稽古の雰囲気が気に入って能楽部に入部。1960年代、地域に必ずあった「座(劇場)」などに強い影響を受ける。高校卒業後は自分で商売を始めようと考えていたが、「働いて3年くらいじゃ、仕事も分からん。人の世話になって、教えてもらってという状態でしょ」という母親の言葉もあり、10年間勤務。デザインに加えて営業、金銭的問題、人の使い方、経営まで学ぶ中で、業界の複雑な流通に無駄を感じ、独立時には製造直販でやることを決意。色紙に自分で絵を描き、お寺の前にある土産屋の店先で売り始めたのが商売のスタート。1970年代の京都ブームに乗り、「飛ぶ様に売れた」。デザイナーとしての腕を活かしながら、また独学で建築設計を学び、現在では工芸、建築、飲食、と業態を広げる。

経営者を読み解く8つの質問

経営トップになってそれまでと変わったことは何ですか
責任感と希望
母の言葉の一つに、ずっと耳に残っている言葉があります。“たらい”に水を張り、自分が得ようとかき寄せても水は去って行きます。ところが相手のために、相手のためにと水を押すと、自然に自分の手元に戻って来る。これが「利」、商売の原点なんです。最初に欲深く考えて計算なんかしていたら、次に繋がりません。例え損しても相手が求めていることに取り組めば、「利」として返って来ます。確かに騙されることも多いですが、それほど損はしない。救って下さる方もいらっしゃいますから。
人を雇用するというのも大きな責任ですね。ご家族がいらっしゃる方でしたら、なおさら私の責任は増します。倒産すれば全てなくなるし、全ては自分の責任。あまり慎重過ぎてもいけませんが、決断する時はそれなりの覚悟は必要です。
苦しいこともたくさんありました。でも、次の取り組みを考えていくと忘れてしまいます。
もし、経営者になっていなかったらどんなお仕事をされていますか
演技力を楽しむ役者
能か、時代劇の役者になっていたかもしれません。というのは、事業というのは演技力が必要なんですよ。営業の方なら商談時にいかに信頼感を出すか、です。あの人とまた会ってみたいと思えるのか、もう絶対会いたくないと思ってしまうのか。つまり自分をどう磨き、演技出来るか。日常ではなく、非日常の自分をどう作れるかが重要です。だから経営者として生きていなければ、別の方法で演技していると思います。
ビジネスを成立させるには、色々な人と数多く出会います。信頼を得られれば、何か頼まれる。これがビジネスチャンスですね。私も組合や様々な団体に所属していますが、多様な用件を依頼されます。こういったことはきちっと受ける。これが京都の中で事業をしていける「信用」なんですね。「京都はお金がなくても商いしていけるところ」と言われていますが、小さな信用の積み重ね、そのためには演技力が必要です。
好きな言葉・座右の銘を教えてください
ストレス溜めずに金貯めよ、余った金は文化に使え
自分の好きなことをすればストレスは溜まらない。好きなことをしなさいという意味です。そうするとお金は自然に貯まります。ただし私の好きなことというのは自分の趣味的にこだわったものではなく、人が喜んでくれること。設計して、実際に作らせてもらい、お客さんに喜んで頂ける。お客さんと私の間で共感が生まれると、ストレスは溜まりません。何の為にやるのかという、その使命感に対するものがあれば大丈夫でしょう。
そうして余ったお金はお茶屋で。お茶屋で接待した場合は文化的に協力をしているわけですから、税金から外す仕組みが出来ないかと思っています。花街でお金を使えば文化的・歴史的エリアが発展していきますし、文化も守れるのではないかと。京都は特別な条例を作らないとあきません。そうせんと文化性がなくなっていきますでしょ。例えばあれだけきちっとした礼儀作法、伝統的な教え方で舞妓を教育している花街は、全国でも京都しかないでしょう。