代々続く宮大工を営む父と、西陣織りに親しむ母の間に、長男(3人姉弟の末っ子)として生まれる。10歳で父親を亡くしたことにより、中学卒業後、昼は呉服問屋のデザイン室で働き、夜は高校に通う生活がスタート。高校では凛としたお稽古の雰囲気が気に入って能楽部に入部。1960年代、地域に必ずあった「座(劇場)」などに強い影響を受ける。高校卒業後は自分で商売を始めようと考えていたが、「働いて3年くらいじゃ、仕事も分からん。人の世話になって、教えてもらってという状態でしょ」という母親の言葉もあり、10年間勤務。デザインに加えて営業、金銭的問題、人の使い方、経営まで学ぶ中で、業界の複雑な流通に無駄を感じ、独立時には製造直販でやることを決意。色紙に自分で絵を描き、お寺の前にある土産屋の店先で売り始めたのが商売のスタート。1970年代の京都ブームに乗り、「飛ぶ様に売れた」。デザイナーとしての腕を活かしながら、また独学で建築設計を学び、現在では工芸、建築、飲食、と業態を広げる。
経営者を読み解く8つの質問
経営トップになってそれまでと変わったことは何ですか
もし、経営者になっていなかったらどんなお仕事をされていますか
好きな言葉・座右の銘を教えてください
■人物データ
年齢 |
60歳(1947年6月生) |
社長就任 |
1979年6月 |
就任経緯 |
創業 |
出身地 |
京都府 |
出身学校 |
京都市立堀川高校 |
趣味 |
能楽 |
■会社データ
人を雇用するというのも大きな責任ですね。ご家族がいらっしゃる方でしたら、なおさら私の責任は増します。倒産すれば全てなくなるし、全ては自分の責任。あまり慎重過ぎてもいけませんが、決断する時はそれなりの覚悟は必要です。
苦しいこともたくさんありました。でも、次の取り組みを考えていくと忘れてしまいます。