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バランスとタイミングを逃さず京都から三共精機ブランド発信
小学生の頃に椅子や本棚を手作りする面白さに目覚める。中・高・大と10年間、同志社で「本当に楽しかった時間」を過ごす。大学進学を前に「これからは技術の時代」と考え、基本を学ぶために機械科を選択。安保闘争の中、実験がある工学部は優遇され、バリケードをくぐり、T型定規と墨で無心に一本一本図面を描く大学生活を送る。時は高度経済成長の最中、ブルドーザーを開発したコマツに入社。開発のため一丸となる社内で、生産技術に配属され、品質管理の為データと格闘する徹夜の毎日を送る。作業動作や効率追求の中からマネジメントを学んだ。25歳で父親に呼び戻され、試行錯誤しながら畑違いの営業を行うと同時に、経理や経済の勉強も着々と行った。43歳の時、先代である父親が病に倒れ、会社を継ぐ準備は行っていたものの、不安を抱える。先代の葬儀で「家業を命がけで守る」と社員と家族の前で宣言。不安な気持ちが吹き飛び、覚悟が生まれる。67歳、本社の改装、モデルフォレスト運動に取り組むなど、「三共精機ブランド」を構築。京都から世界へ羽ばたこうとしている。

経営者を読み解く8つの質問

経営トップになってそれまでと変わったことは何ですか
社員と社員の家族に対しての責任感が生まれた
社員と社員の家族、自分の家を守らないといけないという使命感が湧いて来ました。先代の社長の時代から会社を支えてくれていた社員たちはもちろんいましたが、相談は出来ても、決断するのは全部こちら。何でも最終的には私が決めて、私が責任を持たなければいけないことを強く意識しました。
しかし幸いにも、我々の業界は戦後設立された企業が多い。つまり私が社長に就任した時期は、同じ様に創業者から二代目に代わられる企業の多い時期でした。大阪の問屋街にある企業も、二代目社長誕生が多かったですね。そんな二代目同士で話をし、教えて頂きながら出来ることが分かった時はとても心強かった。相談すると、みんな本当に親身になって教えてくれました。
もし、経営者になっていなかったらどんなお仕事をされていますか
愛すべき“技術屋さん”
今でもね、大学の同級生やコマツの同期に会うと羨ましいです。例えば潜水艦の設計をしていて、「今や私が握っているノウハウは死ぬまで誰にもしゃべれない。家族にもしゃべれない」という程の高いレベルの技術を持っている者や、資格を取得して特許事務所を開いた者。目の前のブルドーザーのあそこの部分は俺が開発・設計したんだとか、そういった自負を持っているわけですよ。私はそれが出来なかったから羨ましい。やりたかったなと。
“技術屋”というのは、最終的には設計だなあと思っています。ものを作り出すのが設計ですからね。クリエイティブな仕事がしたかった。自分の設計したものが世の中に存在するんですよ、やっぱりやりたいなと思ってしまいます。
好きな言葉・座右の銘を教えてください
バランスとタイミング
まず「バランス」ですが、様々な意味を持っていますよね。バランスシートもそうですし、分相応もそうですね。必要以上に背伸びするのも、謙るのもおかしい。やはりそこに風格や体裁が求められます。健康のバランスもそうですね。多角的に見てバランスが取れてないと、ちょっと違和感を覚えてしまうんですよ。
「タイミング」の方ですが、商売をしていると商機というのがありますよね、チャンス。日本語に「旬」という言葉があるでしょ。食べ物だって、「旬」に食べるのがおいしい。これもチャンス。投資もそうですね。もう少し先延ばししようなんて言っていると、絶対うまくいかない。将来、後悔することの方が多い。左右の「バランス」と、やる時はやるという「タイミング」、これはとても大事だと考えています。