経営者の生き方から自分を活かす働き方発見・学びサイト「CEO-KYOTO」

学生時代に立てた計画の通り、卒業後10年目に会社を設立
経営者の父親と教育熱心な母親のもと、3人兄弟の次男として生まれる。読書家で小学生の頃から文学全集を読み込み、中学時代はフロイトが愛読書。高校時代には司馬遼太郎をはじめ歴史書に傾倒。哲学、心理学の他にも小説、漫画などあらゆる書籍を読んで過ごす。高校までは理工系を選択していたが、大学受験の時に文系へ進路を変更。中でも難関である大学を目標にすえ、勉学に励む。法政大学へ入学し、国際法・国際政治学を学ぶうち、「勉強してきたことを活かせて、国際平和に貢献できる」という理由から、国連事務総長を目指した時期も。学生時代に子供を授かり結婚したこともあって、卒業前に70歳までのキャリアプランを立てる。まずは「社会人になって10年目に起業する」と目標設定。就職活動時、ゲーム会社を志望したが、父親から「将来、自分の会社を継ぐために金型・モーターの勉強をして欲しい」と話をされ、同業界の企業を経て京テックへ入社。その後、独立し「計画通りの10年目」にプロニクス株式会社を設立する。

経営者を読み解く8つの質問

経営トップになってそれまでと変わったことは何ですか
責任感が1000倍になった
京テックに営業部長として勤めていた頃は設計も担当していました。起業後は、同じように一生懸命やっているつもりでも、勤めていたときと、社長としてやっているときでは感覚が全く違います。自分のしたことが、収益や成果にそのまま直結しますから。そのこともあって、ミスは10分の1程度にまで減りましたね。一所懸命やっても結果が違うんですよ。責任感が変わるんですね。社長になると、いい加減な気持ちでは許されないんです。普通のサラリーマンでは、そこまで心構えができていない。しかし社長は全ての責任を取るから、責任感が大きくなります。真剣度というかな。例えば、誰かがミスをしたときに、「お前が悪い」と責めたところで仕方がない。責任は社長にきますから。責任感に耐えられないなら社長になれないですよ。あと、人のせいにする人も駄目ですね。
もし、経営者になっていなかったらどんなお仕事をされていますか
国連の事務総長
アジアから事務総長が選出されることになった時は、僕でも良いかなと思ったんですよね。学生の時は国際法と、国際政治学の勉強をしっかりしていましたから。英語も問題なく話せたのもあって、一時期は真剣になりたいと考えていたんです。その前までは、小さな頃から宇宙飛行士かパイロットを目指していました。学生時代にラグビーをやっていて運動神経も良かったんです。ラグビーと読書に熱中したせいか、成績が芳しくなくて。パイロットの道もなくなったなと諦めてしまったんです。これは小学校からの夢でしたね。だから、国連の事務総長になりたいと思ったのは大学に入ってから。政治と英語の勉強をしてきたことを活かして、国際平和にも貢献できる。それなら国連の事務総長が一番良いと。当時はまだアジアでは就任していなかったから本気で目指していたんですよ。
好きな言葉・座右の銘を教えてください
和而不同(和して同ぜず)

論語

孔子の『論語』に出てくる言葉で、「賢人は仲良くしつつも、ちゃんと自分の考えを持って行いをするべき」という意味です。この言葉のように、私も自分の道は自分で決めるようにしています。それに、自分の方針を社員に徹底させるのも嫌いなんです。人を押さえつけたくないし、私も人から言われることが嫌いですから。私たちがしている仕事は、測定と成形と金型なので、何も言わなくても向かう方向はある程度同じなんです。だからこそ、仕事のやり方は自分たちで好きなようにやれば良いと考えています。みんな自分の思ったことができて、会社で自分を活かしながら同じ方向を目指せるのが理想ですね。私はプロニクスを、みんなが自分自身を一番表現できる、楽しい会社にしたいと思っているんです。