大学卒業後、京都の銅素材メーカーに就職。総務・経理を担当していたが、入社1年目の暮れに会社が倒産する。退職を申し出るものの慰留され、営業への異動を希望。会社の再建が進む中、2年間営業経験を積む。その後、26歳で父親の経営する共栄実業に入社。当時の主要取引先は国鉄で、鉄道車両部品の商社として安定経営を続けていた。33歳の時に父親が倒れ、実質的な経営トップになると、父親の誠実な経営姿勢は受け継ぎつつも、鉄道車両業界での新たな可能性を模索し始める。1987年の国鉄分割民営化を機に、民間の車両メーカー等に直接アプローチ。大手企業とのパートナーシップを次々と築き、現在では国内全ての車両メーカーと取引を行うまでに。4年前からは、車両製作アウトソーシング化の動きを捉え、内装専門メーカーへと更なる事業変革を進めている。
経営者を読み解く8つの質問
経営トップになってそれまでと変わったことは何ですか
もし、経営者になっていなかったらどんなお仕事をされていますか
好きな言葉・座右の銘を教えてください
■人物データ
年齢 |
64歳(1943年5月生) |
社長就任 |
1983年6月 |
就任経緯 |
家業後継 |
出身地 |
京都府 |
出身学校 |
日本大学 |
専攻 |
法学 |
趣味 |
ゴルフ、漢方薬(健康に関すること) |
■会社データ
会社名 |
共栄実業株式会社 |
業務内容 |
鉄道車両用メンテナンス部品の販売及び内装材の設計・製作・施行 |
創業 |
1949年2月 |
設立 |
1951年2月 |
従業員数 |
32名 |
売上高 |
35億円
(2007年3月実績) |
社長は会社のイメージそのものですからね。会社に対する世間一般の評価は、社長の日頃の生活態度や仕事に対する考え方、姿勢によって決まります。その意味で、NO.1とNO.2とではプレッシャーや責任感が全く違う。世間やお客様の目だけじゃなく、どんな困難からだって決して逃げちゃいかんしね。もちろんウチでも困難は今までたくさんあった。例えば国鉄民営化の時なんてそう。それまで国鉄と継続的安定的に取り引きしていたのに、民営化なんてもう想定外ですよ。何がどう変わるのか分からなかったけど、ただこのままじゃいかんと思ってね。「今をチャンスに変えるにはどうしたらええんやろう」と必死に考えて、直接車両メーカーに営業をかけた。それまでは全て国鉄が間に入ってたわけだから、最初はどこも相手になんかしてくれなくてね。それでも毎日毎日粘り強く通い続けると、次第に認められて取り引きできるようになった。他にも、新しい部品素材の開発など大手企業と組めるチャンスがあればとにかくチャレンジしましたね。
やっぱり危機意識がないのが一番の危機だと思う。受身のまま流されていたら、今のうちのポジションはない。新しい試みをどんどんやって、その分失敗もしたけど、だからこそそれが糧になっているんだと思います。