「自分で何かやってみたい」という思いから、大学在学中に友人と共同でアルバイト情報誌の発刊を企画したが頓挫し、借金返済のために知人の印刷会社で働き始める。26歳で大手不動産会社の京都支店創設メンバーとして不動産業界へ足を踏み入れ、28歳を迎えると地元に密着した不動産会社に転職。多くの土地オーナーとの出会いの中で仕事の醍醐味を再確認し、1982年、30歳で独立を果たす。京都初のセンチュリー21加盟店となり、25年をかけてじっくりと地盤を築いてきた。2006年度はセンチュリー21関西圏において、グループ売上、店舗売上ともにNo.1の実績を上げている。
経営者を読み解く8つの質問
経営トップになってそれまでと変わったことは何ですか
もし、経営者になっていなかったらどんなお仕事をされていますか
好きな言葉・座右の銘を教えてください
■人物データ
年齢 |
55歳(1951年4月生) |
社長就任 |
1982年8月 |
就任経緯 |
創業 |
出身地 |
京都府 |
出身学校 |
中京大学中退 |
専攻 |
経済学 |
趣味 |
山登り、釣り |
■会社データ
会社名 |
株式会社 穂高住販 |
業務内容 |
不動産売買・新築分譲 賃貸物件管理 注文建築 各種施工・メンテナンス |
創業 |
1982年8月 |
設立 |
1985年6月 |
従業員数 |
49名 |
売上高 |
30億円
(2006年5月実績※グループ計) |
関連会社 |
有限会社ライブワン |
会社HP |
http://www.hodaka-j.co.jp/ |
独立当初は3人の小さな事務所やったから、「とにかく食っていかなアカン」と思っただけで、経営トップなんて意識は持ってないですわ。自覚するようになったのは社員数が30名を超えた10年程前からやね。バブル景気やその後の厳しいデフレなんかも経験して、いかにして30人の社員が食えるだけの仕事を確保していくか…。時代が変わっていくのを肌で感じながら、トップの責任がヒシヒシと迫ってきた。それで思い切って小倉や田辺の小規模店舗を閉鎖して、宇治地区に関しては本店だけをロードサイドに設けることにした。広い駐車場と明るい色を使ったガラス張りの店舗にして、お客さんは前の10倍近くに増えました。ウチが全国のセンチュリー21加盟店の中で上位の成績を上げているのも、ひとつはこの店舗作りにありますね。もちろん、一人ひとりの営業マンの使命感の強さがあってのことやけど、彼らがその使命感を持ち続けられるような土壌作りを、経営トップとして時代を読みながらやっていかなアカンなと思っています。